宇喜多氏、小早川氏、池田氏の居城。漆黒の烏城「岡山城」。岡山のお城vol.3
2014.12.19
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wavehouseの青木です。
今日も岡山のお城の紹介です。
「岡山城」
岡山県岡山市の旭川河口の丘陵に築かれた平山城(ひらやまじろ)です。
国指定史跡。
日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つに数えられます。
外観五重、内部6階の天守は、黒漆塗りの下見板の外観から烏城(うじょう)とも呼ばれています。
【お城としての評価】
・城の縄張は基本的には梯郭式となっており、三段の城郭配置が西側の一方だけに広がる平山城。
言いかえると本丸の北から東には郭の無いので非常に防備が薄い縄張のため旭川の流路を変更し、天然の堀として東側の備えに利用している。
・歴代城主が非常に有名。
・隣接する大名庭園・後楽園は、水戸・偕楽園、金沢・兼六園とともに、日本三名園とよばれています。
岡山の城詳しい説明はこちら
【関連人物】
有名な歴代岡山城の城主
宇喜多直家 → 岡山の基礎を築いた人物。自分の娘の嫁ぎ先をことごとく滅ぼした。身内になり、安心させたところで攻め滅ぼしていた。
戦国三大悪人の一人。秀吉ほどではないが、かなり成り上がった。
宇喜多直家 → 岡山城2代目城主。一時期秀吉の養子になっていた。その後、豊臣政権五大老の一人になる。
関ヶ原で西軍に組し、敗北。徳川家により八丈島へ流刑される。悲劇のプリンス。
小早川秀秋 → 豊臣秀吉の義理の甥(奥さんのお兄さんの息子)。のちに秀吉の養子 → 毛利両川の小早川隆景の養子になる。
秀吉の親族にも関わらず、関ヶ原の戦いでは戦闘中に西軍から東軍に寝返り、徳川方に勝利をもたらす。
日本史に残る合戦での裏切り行為の為、小説やTVでは扱いが非常に悪い。
詳しい岡山城の歴代城主はこちら
現在の岡山城ですが、実は鉄筋コンクリート造り。
今のような大きなお城にしたのは、世紀の裏切り行為をした小早川秀秋さんです。