竹田城に続け‼岡山の天空の城「備中松山城」 岡山のお城vol.1
2014.11.28
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wavehouseの青木です。
突然ですが今日は岡山のお城の紹介です。
「備中松山城」
備中松山城は現在の岡山県高梁市の臥牛山に建っています。
標高430mの臥牛山頂上付近に建つ天守は、国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にあり、
兵庫県にある竹田城は日本のマチュピチュとして有名ですが、それに続けと備中松山城も今注目を集めています。
【お城としての評価】
・天守と二重櫓は国の重要文化財。
・現存、天守を持つ山城としては最も高い所に位置する。
・備中松山藩は石高こそ5万石だったのですが、江戸幕府では西国(池田家や毛利家)の抑えとして重要な人物が城主になっていたみたいです。
備中松山城の詳しい説明はこちら
【関連人物】
備中松山城がある備中松山藩では下記のような非常に有名な人を輩出しています。
備中松山藩の有名人
小堀政一 → お茶の遠州流の流祖。城下にある頼久寺のお庭は小堀政一の作。
板倉勝清 → 江戸幕府幕末の筆頭家老。板倉家は祖先の板倉勝重が江戸時代初期の京都所司代をしていた名家。
山田方谷 → 崩壊寸前の備中松山藩の財政を立て直した。主なお弟子さんに河合継之助、三島中洲。
谷兄弟 → 兄は新撰組隊長、弟は局長近藤勇の養子
【蛇足】
備中松山城の備中は、もともと中国地方を「吉備の国」と呼んでいた。
日本の中心の京都からみて前・中・後ろという意味で、備前・備中・備後という名前が付いた。
他にも、越前・越中・越後。筑前・筑後。などなど。
かなりマイナーなお城ですが、高梁市は当時の町並みが残っており、城下には歴代当主の菩提寺などのお寺が多数あります。
石高こそ5万石ですが、有力大名の小堀遠州が城主になったり、幕末城主の板倉勝清が幕府の老中まで上り詰めるなど、
当時の江戸幕府での備中松山藩の位置づけはかなり高く、お城はもとより町ぐるみで、もう少し見直されても良いような気がします。
二度ほどお城に上ったことがありますが、一番下から上るとかなり過酷です。途中まで車で登れますので途中からの登頂をお勧めします。